江副浩正氏と言えば、リクルートの創業者であり、「戦後最大の疑獄事件」と言われるリクルート事件の「主犯」とされる人物ですが、この本では、リクルートの成長期を中心に江副氏の生涯が綴られています。
この本を読むと江副氏が以下のような人物であったことがわかります。
- 江副氏が30年以上も前から情報化社会の未来を見据えた「天才起業家」であったこと
- その一方で、違法でなければ道徳律や慣習からはみ出ることをいとわない「いかがわしさ」があったこと
- そして、マスメディアの秩序破壊者であるがゆえに恨みを買いつぶされたこと
ひとつひとつ具体的にみていきましょう。
「天才起業家」江副浩正
リクルートと言えば、現在ではリクナビなどの求人サイトを運営する会社ですが、駆け出しのころは「企業への招待(のちにリクルートブック)」という求人情報誌を発行する会社でした。
これはインターネットの無い時代の「紙のグーグル」ともいえる画期的なものでした。
リクルートが起業したての1950~1960年代は、インターネットなどもちろんなく、広告の主流はテレビや新聞といったマスメディアでした。
しかし、マスメディアによる公告は、情報を見たくない人にも広告を見せてしまうため、広告のムダうちが発生していました。
そこで、リクルートは求人情報を集めた求人情報誌「企業への招待」を発行することで、情報が欲しいユーザーと情報を届けたい企業をダイレクトに結びつけることを可能にしました。
つまり、現代であればグーグルで「求人」と検索すれば求人情報にアクセスできるように、「企業への招待」を見れば求人情報にアクセスできる世界を作ったのです。
さらに、江副氏は情報誌ビジネスだけでなく、今でいうクラウド事業も行っていました。1988年に「リクルート川崎テクノピアビル」を完成させ、当時のスーパーコンピューターなどを設置し「リモートコンピューティングサービス」を銀行向けに提供しようとしていたのです。
江副氏は、グーグルの検索サービスを紙を使って実現し、アマゾンウェブサービス(AWS)と同じようなものを30年以上も前に構想していた「天才起業家」だったのです。
江副浩正の「いかがわしさ」
そもそも、起業家なんて「いかがわしさ」がないと成功しないのかもしれませんが、江副氏は法的にかなりグレーなことをやっています。
例えば、社長室の奥にディーリングルームを作り、求人情報など業務上得た情報を基に株取引をして多額の運用益を得ていました。今ならインサイダー取引規制に抵触する内容ですが、当時はまだ規制がかかっていなかったグレーな取引でした。
また、政治家への多額の献金をきっかけに土地臨時調整委員会の委員などを務め、日本の中枢に入り込み、そこから情報を得て自分のビジネスを広げていきました。
そして、 最終的には値上がりすることが確実のリクルート未公開株を政治家に配り、「戦後最大の疑獄事件」と言われるリクルート事件を引き起こしてしまうのです。
つぶされた「天才起業家」
このように「天才起業家」江副氏は「いかがわしさ」をまといながらビジネスを拡大していきます。
しかし、リクルートは、新聞社が独占していた不動産広告の利権と、新聞やテレビの限られた広告枠を押さえ込む電通など広告代理店の利権を打ち砕く「情報利権の破壊者」であり、マスメディアの恨みを買っていました。
そして、「天才起業家」はマスメディアから反撃されます。
1988年に朝日新聞は、川崎市の助役が未公開のリクルート株をリクルートから取得し、公開後の売却で1億円の利益を得たことを記事にしたのです。これをきっかけに「戦後最大の疑獄事件」と言われるリクルート事件の追及が始まり、最終的に江副氏は逮捕され、有罪判決を受けることになります。
ライブドアの堀江氏もフジテレビ買収を仕掛け、マスメディアを敵に回してつぶされましたが、江副氏はまさにその走りだったのです。
こうして「天才起業家」は市場から退場し、日本の情報産業はアメリカの後塵を拝すようになっていくのです・・・
このほかにも江副氏やリクルートに関するエピソードが盛りだくさんな本なので、興味のある方は是非読んでみてください。