書評

【読書感想】「日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三(著:鹿島茂)」どこで勝負するかが人生を決める

今回は「日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三(著:鹿島茂)」の感想です。

この本は、楠木建氏と山口周氏の対談をまとめた「『仕事ができる』とはどういうことか?」という本で、楠木建氏が「小林一三評伝の決定版」と絶賛していた本です。

小林一三は、言わずと知れた阪急グループの創設者で、日本を代表する名経営者の一人です。

小林は、三井銀行でのサラリーマン生活を経て、鉄道ベンチャー企業に入社し、阪急グループを築き上げるのですが、銀行員時代と鉄道ベンチャー企業時代のパフォーマンスのギャップがすごいのです。

この本は、ビジネスマンにとって「どこで勝負するか」がいかに大事かを教えてくれます。

今の環境で燻っている人には特におすすめの本です。

不遇の銀行員時代

15歳(1988年)の時に慶應義塾へ入塾し、20歳の時に三井銀行に入行します。

小林は、経歴的にはスーパーエリートなのですが、サラリーマンとしてはダメダメでした。

入行当初は秘書課に配属になったのですが、仕事はお茶汲みと書類整理ぐらいしかなく、暇を持て余していました。

また、すぐに大阪支店に異動になったのですが、ここでは舞妓遊びに夢中になり、慢性的な金欠状態になるほど遊び呆けていました。

しかし、新しく大阪支店長となった岩下清周の下で働くこととなり、小林は仕事の面白さに目覚めるのですが、ここから更なる不遇の時代を迎えることになります。

ちなみに、岩下清周は、三井物産から三井銀行に転職し、後に総理大臣になる桂太郎や寺内正毅など政界にも人脈を持つスーパーエリートです。

この岩下はかなり無茶をするタイプの人で、大阪赴任から1年もたたないうちに上層部と対立して、左遷されそうになったため、三井銀行を退職し、北浜銀行を設立します。

この騒動により、岩下の配下と見られていた小林は社内で冷遇されることになります。

岩下に代わって小林の上司となった池田成彬からは、「文学青年」「行員失格」というレッテルを貼られ、29歳の時には東京本社調査課と言う窓際ポストに左遷されます。

小林は、ここから三井銀行を退職するまでの6年間を「耐え難き憂鬱の時代」と回想しています。

秋の夕暮方、私は子供をだっこしてこの海岸に立ち、ハゼを釣る人達の中に交って、散歩するのが楽しみであった。(中略)この簡素な親子五人の生活は、銀行の不平を忘れて、誠に潔白な純情そのものであった。(中略)私とては芝浦六ヶ年の生活は、到底忘れることの出来ない思ひ出である。(「逸翁自叙伝」)

日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三(著:鹿島茂)

サラリーマン時代の小林は、上司には「行員失格」と言われ、左遷の憂き目にあい、家族との時間だけが楽しみのダメダメサラリーマンだったのです。

なすお
なすお
僕はそんな人生もありだと思うけどね。

才能が開花した鉄道ベンチャー時代

しかし、34歳の時に大きな転機が訪れます。

元上司の岩下が設立した北浜銀行が、日清・日露戦争後の好景気に押されて目覚ましい成長を遂げており、証券会社を立ち上げようとしていました。

そこで白羽の矢が立ったのが小林です。

銀行での出世の目がなかった小林は、岩下のオファーを受け、銀行を退職することにしました。

しかし、更なる災難が小林を襲います。

日露戦争以来大暴騰していた株価が暴落したのです。

その結果、証券会社立ち上げの話は白紙となり、小林は無職の身になります。

なすお
なすお
小林さんめっちゃついてないね。

そんなとき、付き合いのあった三井物産の常務飯田義一から阪鶴鉄道の監査役にならないかとのオファーを貰います。

この阪鶴鉄道は今後国有化される予定で、業務としてはその残務処理が残るだけだったのですが、阪鶴鉄道の重役たちは新しい私有鉄道の敷設計画を作っていました。

それが後の阪急電鉄になる「箕面有馬電気軌道株式会社」でした。

小林はその設立準備スタッフとして雇われたのです。

この鉄道計画は、他の関西の私鉄に比べて大きなハンディキャップを持っていました。

それは、鉄道の終点が箕面公園や有馬温泉といった郊外の行楽地であり、この時代の主流である市内や都市間を結ぶ電車に比べて、乗客数が見込めないという点でした。

しかし、小林はこのハンディキャップをプラスに捉えていました。

その理由は、人口が都市部に集中しすぎ住環境が悪化している中で、郊外と都市部を結ぶ鉄道を整備し、快適な住環境を提供できれば、郊外に住む人が増え、ビジネスとして成り立つのではないかと考えたのです。

他の鉄道会社が自社のドメインを「乗客を運ぶ」という機能軸から定義したのに対して、小林は「沿線住民」という顧客軸から定義することで、競合と真正面から戦わない戦略を取ったのです。

この発想の転換が功を奏し、箕面有馬電気軌道株式会社の経営は軌道に乗ります。

その後小林は経営者として、箕面動物園、宝塚温泉、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝など様々な事業を開発していきます。

鉄道ベンチャー企業に入って小林の才能が爆発したのです。

終わりに

小林は慶応卒→三井銀行のスーパーエリートなので、最初から才能に恵まれていたと言う見方もできるかもしれませんが、あまり評価をされなかった銀行員時代から、鉄道会社に移ってからの変貌ぶりはすごいものがあると思います。

小林みたいな大変貌はあまりないケースだとは思いますが、「どこで勝負をするか」を見極めることはとても大事です。

まぁ小林も意図して鉄道会社に入った訳ではないので、置かれた場所で努力するしかないのかもしれませんが。

今の環境に燻っていている人は、こんな人生もあるんだなぁと参考になるので、ぜひ読んでみてください。